2024.10.27

「コンピューター誕生の歴史に隠れた6人の女性プログラマー」キャシー・クレイマン(著) 羽田 昭裕 (翻訳)

世界初のプログラム内蔵式コンピュータである「ENIAC(エニアック)」の最初のプログラマーである6人の女性について書かれた本。 ENIAC6と呼ばれる彼女らは当時のパブリックな写真には写っているけど、名前や何をしていた人たちなのかについては、まったく情報がなく、歴史のなかで埋もれてしまっていたのですが、、、

※ ENIAC は、第二次世界大戦の終結直後にアメリカで誕生した、世界初のプログラム内蔵式コンピュータ(当時トランジスタはありませんから真空管で構築されている巨大な機械)です。


「コンピューター誕生の歴史に隠れた6人の女性プログラマー」キャシー・クレイマン(著) 羽田 昭裕 (翻訳) | Amazon

300ページを超える本ですが、(当社比)爆速で読了。ノンフィクションとは思えないぐらい筆致がドラマチック。 序盤で6人の女性が、ENIACに関わるまでの半生が順に記述されますが、その各章の書き出しがカッコいい。 ENIACの開発には男女含めて多くの人が関わっていて、ほぼ全員が(ENIAC6だけでなく)この序盤に登場してくる。研究者や軍の関係者など、すごいやつもダメな奴も順番に。なんだか、プロジェクトX的な映像ドキュメンタリーの導入部を見ているような感覚を覚えた。とにかくかっこいい(語彙)。


1980年代に大学でコンピュータ科学を専攻し、ジャーナリスト志望の女子大生である著者キャシークレイマンは、ENIACが開発された頃の写真に、数人の女性が写っているが、彼女らの素性はおろか名前さえも全くわからないことに違和感を覚えます。当時を知る人達に聞いても、お披露目のために用意されたモデルではないか?という回答しか得られない。彼女らの姿は、巨大で異様なENIACという機械を完全に把握し自信に満ちた様子。単に報道のために用意された飾りには見えないことに違和感を覚え「彼女らは誰なのか、どのような経緯でENIACに関わったのか、そして、彼女らは、その後どのような人生を送ったのか」を解き明かしている本です。

さらに、ENIACそのものが誕生するまでの技術的・専門的な経緯や状況の描写も豊富に含んでいます。とても読み応えがある。 その内容は、大学の卒業論文として提出したものをベースにしているが、社会人になった後にも、それらの情報が世の中から失われてしまっていることに焦燥感を覚え、当時の関係者らに取材を重ねて描き下ろしています。

現在のコンピュータ・プログラマー業界で普通に使用されている開発手法や、いわゆる「あるある」などが、彼女ら6人の世界最初のプログラマーによって生み出されていたり、現在でも使用されているプログラミング言語の誕生に関わっている人がいたりして、とにかく同業種に身を置く人として、非常にエモい。

様々な困難を克服し、ときに喜び、互いの人生の節目には祝福の杯を交わし、世界初のプログラム内蔵型コンピュータが誕生し、その後の歴史がドラスティックに変わったさまが、ドラマチックに描かれています。

歴史的価値も高いように思います。

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2024.03.10

39-55

昨日は誕生日でした。3月9日55歳になりました。スーパーからの帰り道、信号待ちの車のナンバーが「39-39」。ちょっとうれしくなりました。

内面的には20年前からあんまり変わっていないと思ってるんだけど、カラダ的には随分キテいる。アタマも随分・・・急激に。。。

先日、残業中にコンビニ行って帰り道、花壇をショートカットしようとして、足が上がらず躓いて、お見事と言われるくらいにコケまして、手のひら擦りむく、ズボン汚れる、コンビニ購入ホヤホヤのペットボトルはどこ行った?てなことで、、、恥ずかしかった。特に帰りの電車のズボンの汚れ。小学生なら微笑ましいけどコチトラ長年世間の波を泳いできた55歳のおじさんなのだヨ(恥

さらに3時間後、深夜に帰宅。ズボン脱いだらスネから多量の出血痕。10年近く前にランニング中に側溝に足突っ込んでコンクリに削られた右のスネに匹敵するかどうかというキズ。というか穴が空いてた。痛みは感じていたが打撲によるものと思っていて、3時間ほど放置していたから、既にかなり膿んでいる。薄黄色い液体がテラテラと、半分乾いてヒートテックを血液と一緒に中途半端に固めている(ゼリー状)。

それから数日。またこのキズが治らないのだ。毎日自転車乗ってた頃なら1日2日でどうにかなってたんだけど、ここ数ヶ月、休日でも自宅で仕事で座りっぱなしで、基礎代謝が激落ちで、いつまで経っても治らない。炭水化物やらプロテインを多量に摂っても下っ腹の出っ張り具合に寄与するだけだあ。

昨年のこの時期は、休日に3時間ぐらい歩いて、写真取ったりあれやこれやで楽しんでいたが、、、いやあれは2年前か?3年前かな?。。。

とにかく、あと5年で会社的には定年だけど、昨年先輩が定年迎えて、取引先の大企業へ雇用された(どういう契約かは知らない)けど、そういうことを真剣に考えなアカンのやなと、ゾッとしている。

嬉しかったこともある。浜松でウナギ売ってるムスメちゃんから朝いち仕事の日なのに「おめでとう」のLINEが来てたこと。おめでたいかどうかはわからんけどね。

Thank you! Go! Go!

 

2023.12.31

2023大晦日

2023年の誕生日以降「とうとう55歳になっちゃってねぇ」なんて言ってたが、実は54歳だった。自分が自分で驚いた。

昨年9月に母が他界。数日前から食事を摂れなくなり、多くの時間眠っている状態。「おそらく今夜・・・」と、父から連絡が入った数時間後。朝の4時頃。どこかは知らんが、あの世へ母は旅立った。英国のエリザベス女王が亡くなった数時間後。自分にとってはエリザベスより強くて偉大な母だった。35年前に自分は母に極度の心配をかけてしまった。阪神淡路大震災のさなかに結婚。次の年には初孫の誕生。母がとにかく喜んでくれたのが、自分としては嬉しかった。しかし、あの自分が母にかけてしまったそのストレスが、母の命を削ってしまったのではないか?と、後ろめたい気持ちがある。そして、それを生前に直接謝罪できなかったのが、今となってはホントに悔やまれる。

母の葬儀の後、仕事に復帰したとき、会社の連絡ツールで同僚の死を知る。同世代の同僚で元部下。日曜日?にお子さんとのサイクリングから帰宅し、風呂場で倒れ、亡くなったとのこと。ほぼプロドラマーで、ウィットの効いた少し斜めな言動が楽しい男。ペーパードライバーの自分に、ドライブ用のCDを作ってくれたりした。

今年も多くの知ってる人が亡くなった。谷村新司さんは、ヤンタンリスナーだったしショックが多大。会社の若い子らは名前すら知らず、数多くの名曲はおろか、新幹線でかかってる「いい日旅立ち」も知らないらしい。おっちゃんは悲し~!。

あ、財津一郎さんも亡くなった(キビシ~)。あと春日三球さん(地下鉄の車両はどこから入れたんでしょうねー)も亡くなっていたと今知った。

さらに今朝、「あほの坂田」こと坂田利夫さんが亡くなったと。数週間前、間寛平さんが介護施設?の坂田さんを訪ね、その様子をSNSに報告されているのを見て、幸せな気分になっていた。

なによりボクに、いろんな多くの不可逆的な影響を与えてくださった、すべての人に感謝して、亡くなられた方の、ご冥福をお祈りします。

来年も精一杯(できる限り)頑張りますわ。という所存です。

皆さま、良いお年を!

2023.08.10

なごやん

お盆休みに突入したが、母の一周忌の法要が翌週に予定されており、帰省の予定は1週延期。ということで、お盆の休みはとても暇。

というか、そもそも最近は、お盆に限らず、長期の休みはノープラン気味。レジャーなどを企てるモティベーション製造装置が故障している。この数年、正月やGWや週末などの休日に、見境なく自宅でダラダラ仕事をしていたせいだろう。WLBなんてどこ吹く風。そうせざるを得ない開発案件の特性も、多少はあったはずだが、「ベストな選択をした」と言うつもりはまったくない。「自分が悪い」と、自責の念から、ふさぎ込んでしまうようなことはないけれど。

お盆前最終日定時後、はるか数ヶ月前に客先へ出張ったときの交通費を精算。すっかり忘れていたものだった。総務部長は、お中元で送られてきた食品の賞味期限を気にしていらした。経理担当兼社長とは2ヶ月ぶりぐらいに顔を合わせて雑談。「交通費の賞味期限も切れていますねー」などとオヤジギャグが炸裂するも、言葉は発せられた瞬間に誰の心も打たずに蒸発。

そんな社長がPCを扱う姿勢が気になった。覆いかぶさるような感じなので「その姿勢、カッコ悪いですよ」と愛のこもった指摘をすると「字がチイそうて見えないのよー」と。さらに「そもそもスマートに見られるつもりもないしなー」と。

創業時は30代前半。がっしり体型で、昭和の体育会系ビジネスマン風。身のこなしも、出てくる言葉もなかなか颯爽としていたけれど、、、などと思い起こしていたが、前髪がすっかりなくなってしまった自分がどうこう言えることでもないなと反省。リーディンググラスを持ち歩く身になったし。

帰路、近所のスーパーで母が生前好きだった「なごやん」が珍しく並んでいたが、賞味期限が気になってスルー。

2023.06.04

コロナ明けの送別会

金曜日は送別会。前職から合わせて四半世紀ほどのお付き合いだった先輩や同僚が、先月、先々月と退職された。創業時の人間はもう社長含めて3人になってしまった。

朝から台風が近づいており、急激に下がる気圧にボクの三半規管がユラユラしてたが、午後にはかなり楽になった。JRの計画運休で帰れなくなるリスクもどうにか回避され、小降りになる中、当初の予定通り開催の運び。

終業時刻は18時で、送別会は19時はじまり。コロナ前までの習わしで、時間が空いたら、おじさんたちは0次会(エキマエスタンド@神戸駅)へ行かねばならない。かねてから「立ち飲みに行ってみたい」と、また聞きしていた19歳の新入社員に「行く?」というたら「行く!」とのことで初参戦。カウンターに4人並んで、おっさんたちは生中2杯で徐々にアホになりつつ、新人さんはコーラのみで早々に引き上げて1次会の居酒屋へ。

居酒屋では、始まる前のガチャガチャした感じ「どこ座ろかな?」「〇〇さんは何時に来るの?」「荷物こっちにおけますよー」「上着かけときましょか?」が懐かしかった。

主役はいろんな部署を移動した人なので、各部署のムードメーカー的な人も参加しており、ほんとに楽しい会だった。長い付き合いだが知らない話も最後にいっぱい聞けてヨカッタ。

2次会には不参加で帰宅。翌朝早朝、社内のチャットに賑やかなカラオケ写真がアップされてて、若い人たちの元気さに微笑んだ。


土曜日は、眼科と心療内科をはしご。ワンデイのコンタクトレンズを90日分購入。Kindle本で言語学関係の新書を3冊購入。上岡龍太郎さんが亡くなられたとニュースで知る。どんどん時代が終わっていくなとチョットビビる。

日曜は家に閉じこもり、本読み&RadikoとTVerとYouTube。そら痩せられんわな。大河は鳥居強右衛門(とりいすねえもん)のお話。キャストに「おおっ!?」と驚いた。

2022.12.03

にわかサッカー景気とか

恥ずかしげもなく「にわか」サッカーファンだとカミングアウト。

ワールドカップでサッカー日本代表が、なんとドイツとスペインに勝ったってな状況では、もうニワカになるしか仕方がない。さっき検索して知ったが、一次リーグを一位通過なんだって?スゲー勝手に二位だと思ってた。

学生時代にガチサッカー部な同僚はWebAppのKeyEventに悩みながらも、スペイン戦当日に休みを取ってた。サッカー休暇?と聞いたけど。「いやいやたまたま」との答え。疑わしい。

さらに学生時代に少し嗜んだらしい彼の上司は「今夜は早よ寝て明日に備える」と意気揚々と帰宅したけど、翌朝「眠い」と笑顔であった。聞けば徹夜したらしい。

あわよくば日本代表の活躍が、経済回復に役立つならば良いのだが、どうなるだろうか。スカしてなくて、期待をたくさんするべきなのだろうなー

2022.07.21

難波歩きがNo.1

肥満体継続1周年。昨年の健康診断ではBMIがギリギリ25を超えていて肥満体と判定された。保健指導の説教部屋で「惜しい!」と言われ、残念無念。ということで、今年は体重を(少しだけ)減らして挑んだのですが、まさかの結果に。体重ばかり気にしていたら、身長も少し縮んでいて、やっぱり今年もBMIは25を超え。説教部屋では昨年と同じ保健師の方から「マジ惜しいね!」と、連続受賞。

ということで、重い腰(と腹)を上げ、ラン&ウォークを再開。

月曜(海の日)の夕方には3キロ弱走った。翌日朝に太ももが筋肉痛。代謝はそれなりに維持しているみたいだけど、そもそも筋肉痛になるのは走り方が悪いのと筋肉量が少なすぎるということか。

少し前に、体重増の影響で右股関節に変な痛みがあったので、通勤ウォーク時に歩き方を試行錯誤。結果、ナンバ歩きが楽だった。ナンバ歩きは「右手と右足を同時に前に出す」歩き方と誤解していた(実際辞書にはそう書いてある)が、実は腕は上下運動なんですってよ。

前に出した足と同じ側の肩を下げる感じですな。重心を左右に移動させながら、体全体を倒すように前に進むので、筋肉的に負担が少ないのだ!と完全に看破した(多分)。

この歩き方を実践してみて気がついたのは、例えばラッパーのブラザーが手を振り上げて肩を揺らしてカメラに向かってドープなライムをツバを飛ばして歩いてくるようなシーンってのは、多分おそらくナンバ歩きになっている(のではないかなあ?と思う)。実際とても楽に歩けるから、人間的(動物的?)には自然な歩き方なんだろうね。

あと、少し大げさにアレンジすると、坂田利夫さんの歩き方(いや普段のじゃなくて)に発展するので、オススメです。

2022.07.19

メスティン・ビネガー・ゆでたまご

メスティンで「ゆでたまご」を作ると、内側全体が黒ずんだ(黒変現象というらしい)。

卵の殻に含まれるカルシウムと、メスティン(アルミ)が直接反応するのだ思っていたが、どうやら、アルミと水で水酸化アルミニウムが作られて、カルシウム等のミネラル分を吸着するのだとか。

いずれにせよ、この黒変現象は、酸によって回復するらしく、手元の米酢で効果があった。

そもそも、ゆで卵を作るときに酢を入れる風習?があるようで、殻が割れたときに白身が固まりやすいからだとか。長年、その役目は塩が負っていると思っていたが、酢だったのか。塩でも効果はあるのだろうか?

ということで、酢を少々入れて再びゆで卵を作ってみたら、黒変現象は見られなかった。

トマト煮を推奨しているところもあった。トマトは酸性度が強いらしく、トマトケチャップでコーティングしても効果があるらしい。そういえば鉄板のサビ取りにトマトケチャップを使ったことがある。

しかし不思議なのは、そもそもサビるのは酸化現象だと思うが、それを元に戻すのに酸が効くとはどういう理屈なのだろう。

2022.06.26

複雑な感情

土日に実家で一泊。兄も帰省。両日とも母と面会。

母は先週よりは元気な感じ。食事も7割方は食べられているとのこと。しかし言葉が出てこなくなくなっているのかもしれない。先週は娘(母からは孫)の名前を出せば「ああ、女の子?」という反応があったのだが、今週は声を聞けなかった。

表情は乏しいが拒絶もされていない。ニュートラルな面持ち。ただし自分の顔に焦点が定まっていないのかもしれないなとも思った。白内障が進んでいるのかも。もう体力的に手術はできないし、どれぐらい見えているのか確認しようがない。先に白内障の手術ができていれば現在の状況も変わっていたのかも。そもそも白内障が認知症の引き金になったのかもしれないなとか。色々考えるが、今となってはどうしようもない。

他愛も無いことを話しかけていると、母は、部屋の中においてある実家から運んできたタンスを左手で指さした。どうしたの?と聞き返したが、何が言いたかったのか不明。「いやなんでもない」というふうに手のひらをこちらに向けて、数回、静止するように前後させていた。なにか伝えたい事があったのかもしれないが、理解できず、曖昧な笑顔を返すしかなかった。その後、両手の指を組んで胸の前で手のひらを裏返すように数回繰り返したりしていた。

職員さんによれば、自分で車いすを転がしてトイレへ行ったりできるようだ。つかまり立ちもできるようで。先週よりも体を動かすことが多く、状況が悪いばかりではないことはわかった。しかし、認知症末期であることに変わりはない。徐々に衰弱していくのも間違いない。ただし、過大な悲壮感はない。人はだれでも、こうなって最後を迎えることになるのだから。

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30年ほど前に脳科学を少しかじったことがあり、また最近流行りのAIにも乗り遅れまいとしていたのだが、そこから得た基礎的な知見として「脳は入力を出力に変換する変換装置」ということがある。これはあまりに殺伐とした認識かもしれないが、本質的には事実でもある。だから、上に書いたような母の反応は、その場での入力情報に対する出力であり、そこに何らかの意味が隠されているといったことはないのかもしれないなどと思ってしまって悲しくなった。まあ脳が萎縮しているとはいえ、それほど単純なことではないはずだから、母には感情が残っており、本当になにか伝えたかったのかもしれないけれど。しかし、色んな意味で悲しい現実が今ここにあるのだなあと思ったりした。

兄も言っていたが、母は父の声にはとても良く反応する。なるほど血の繋がりなんてものより、一緒に過ごした時間、苦楽をともにした時間が長いほうが、認知には刻まれやすいのだろう・・・と、とても当たり前のことに今更気がついた。よき父母のおかげ様だと感謝。

2022.06.19

9ヶ月ぶりに母に会う

先週、父から「母に会いに来てやってくれ」と電話があった。

母は、昨年9月末から実家近くの特別養護老人ホームへ入居している。父は、ほとんど毎日施設へ行って母と会っているようだ。しかし、ここ1ヶ月、食が細リ、日中でも眠っているような状態が多くなっているとのこと。そのため先日医者にかかり、CTを撮ったが、脳の萎縮がかなり進んでいるとのこと。足も細く弱り、歩けなくなっている。

予定の10時に、少し遅れたが母の元へ。母は共有スペースで車いすに座り、目を覚ましていた。「今日、次男が来る」と聞いて、いつになく朝早くに目を覚まし、食事も少量ながらもきちんと摂ったらしい。楽しみに待っていてくれたようだ。

表情の変化は乏しく、時折咳き込み、辛そうではあるが、近くでしっかり目を合わせると、ニコリと笑う。孫はみんな、元気にしてると伝えれば、ほとんど声にはならないけれど「そうかそうか」と頷いて喜んでいた。孫の名を聞けば嬉しそうに笑顔になる。父の言う通り、こちらから話すことは全て伝わって理解できている。

しかし、声はかすかに聞こえる程度。さらに母の認知は、時間的な連続性が失われているように感じた。後に再び目を合わせれば、その時、再会したような、驚きと喜びの表情を浮かべる。

個室で40分ぐらい一緒に過ごしたが、目をつむることも多くなったため、細くなった母の手をとり「今日はこれで帰るけど、また来週も来るからな、しっかりご飯も食べなアカンで。がんばりや」と伝えると、目をつむったままではあったが、何度か力を込めて握り返してくれた。

実家に戻り、昼飯作って食いながら、施設からの「看取り」の同意書について、父から説明を受ける。その時には「延命措置は不要」とのことで提出済みで、それには自分も同意見。衰弱しつつも時折笑顔を見せてくれる母が、自然の摂理に従って召される時に、ただ命を延ばすためだけの措置は、それによって何らかの苦痛が伴う可能性もあり、不要かと思う。その瞬間には、自分もそばに居たいと思う気持ちはあるが、

母自身は、父の両親(私の祖父母)のみならず、多くの親族の最後の瞬間に立ち会ってきたらしい。父から聞いた話では、皆さん最後に近しい人たちに、色々と世話をしてくれた人たちに、感謝の意を伝えていたそうだ。

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