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2007.08.30

ネット社会が諸悪の根源ではなく、諸悪の根源に類するものがネット社会を生んだという認識と現実

最近、あまりに不幸で恐ろしい事件が増えたためだろうか、ニュースを見ていて、耐えられなくなり、いきなりテレビを消すことが多くなった。「もうこれ以上悲惨な状況を知りたくは無い。ごめんだ」という「逃げ」ではあると思う。淡々と伝えるアナウンサーの無機質な表情と声によって、不気味さが増幅されて、気が触れそうになる。

また、ニュースを見た後に「どうしてこんな世の中になってしまったのだろうか。」と落ち込んでしまうこともある。いささか狭小な感覚かもしれないが「うちの家族も、犯罪の被害者になる可能性がある。どうやって姿の見えない不気味な犯罪者から家族を守ればよいのか」という不安感にさいなまれている状態だ。昔なら考えすぎと一笑に付されたはずだが、今ではそう思えなくなっている。

巷を騒がせている事件。裏求人サイトとやらで知り合った3人(もしくは4人)で女性を拉致、殺害。母一人子一人という被害者の家庭環境はこの事件の背景に直接の関与はないとしても、母親の手記に書かれた「絶対に、絶対に、許せない。」という文面には感情を動かされた。怒りとやるせなさを同時に感じた人は多いのではないかな。

テレビなどでは、断定的に「これこれが良くない」という論調になる。こういった背景を持つ事件ではたいていネットの匿名性にフォーカスが当たる。確かに犯人達はこの匿名性を利用して犯罪を犯しているわけだから「ネットの匿名性が影響した」のは間違いではないと思う。しかし、多くのネット住人達は善良であるわけです。どんな道具でも、取り扱いに注意は必要。その存在自体が既に危険であるというものは少ないと思う。刃物が危ないのは確かだが、刃物の無い世の中は不便だ。「そこにある」だけで危険なのではなく、その使用方法に注意が必要ということ。

同時期に警察官の拳銃による無理心中事件があったが、それでも他の善良なる警察官(いやみっぽいかな?)には拳銃を所持しておいてもらわなくてはならないのも事実。仮に警察官が拳銃を持っていなくって、被害が拡大したといった事案があったとすると、やはり「警察は何やってんだ?」となるだろう。

この拉致・殺害事件が、ネットの匿名性が要因として発生したものでないことは明白だ。また、それを扱う人間に問題があった、という結論も少し浅いと思う。犯罪者本人が悪いのは当たり前。私は、「欲を満たすための行動を自分で抑制できない犬畜生のような人間が育てられてしまう社会にも問題があると考える。「社会が悪い」とあきらめているわけではない。あまりに対象が大きすぎて、問題を直視していないかのように思えるが、これが事実であるという強い認識を持つべきだとおもう。これを見据えて対策を打っていかなくてはならないのではないかと思う。

いまも昔もこれからも、ネットの匿名性を悪として叩くことは可能だが、それでは本質的な解決には絶対に至らない。当然ながら「社会が悪いからしかたねぇ」なんていう斜に構えた態度も悪を助長する。これらは、すぐに暗黙の免罪符となり、もっと深い部分に埋まっている悪い部分を覆い隠すことになる。

先日のテレビでのワイドショー的な報道番組では「結局、、、もう、、、こういうのを防ぐには、、、どうしたらよいのでしょうかねぇ???」というコメントがあった。もうそろそろ単純な勧善懲悪で視聴者が「うんうん」と簡単に納得できるようなものでは解決されないことに社会全体が、気付かされてきたのかもしれない。

「じゃぁ、どうやって直すんだ?」となるのだが、自分だけでできるものではないと思うし、正しい答えを出せるという確信も無いのだが、大まかに言えば、先人の知恵をちゃんと利用しなくちゃならないのではないかと思っている。

論理的になるほどと思えばそこで自然と思考が止まるが、物事はそんなに単純なものでは解決できない事を私たちはよく知っているではないか。古くは米ソの冷戦、最近は改善しているが南北朝鮮の分断と対立、中国残留孤児の帰国・保障問題、北朝鮮による核、また、周辺諸国の拉致問題、イラク・アフガン等中東の国々は、俺が子供のときからずぅーっと戦争している。というかそれ以前からだ。もし、単純明快に識者が出した答えで問題が解決するのであれば、こんなに長い間未解決のままになるはずが無い。

現実に起こる問題には思った以上に複雑で、絡みあっている。ところが私達は常に単純明快で理論的な解を求め続ける。1+1=2のような。こういったロジカルな面があってこそ、人間が人間として存在できている根本の能力なのかもしれない。

しかし、もっと深いところでの行動理念というものはサルに近いときから長きに渡って培われたもので、こういったものは経験則でしかない。経験則には理屈・理論は無いに等しいのだが、人間はむしろこういった経験則の方が受け入れやすくできているはず。すこし、居酒屋のトイレに掲げられているような親父の言葉かもしれないが、「挨拶はしろ」、「近所付き合いは着かず離れず」、「年上は敬え」、「弱者は支えてやれ」、「困った人がいたら助けろ」、「命は大切にしろ」といった、古くから言われている正しい行いを問答無用で実践すべきではないだろうか。迷信めいたものをそこから排除したとして、これは昔に戻ることになるだろうか。不便になるだろうか。いっそ豊かな生活が送れる礎になるのではないだろうか。

これが解決策だなんて自分でも思えないのは確かだけど、少なくとも基本に立ち戻らなくてはなんともならないのではないかな?悪い事をしてはいけませんということを理解していない大人がいるんだから。

極論のつもりは無いのだが、昔の生活に戻せるところは戻した方が良いのではないかとも思う。

今のわれわれは、他人との関わりを「他人は他人、自分は自分」ということでシャットアウトしている。私達は普段から顔をあわせて挨拶すらする相手にさえ、「ここからはプライベートでここからはパブリック」と明確な線を引いているようにおもう。見えているのに見えない振りをしているところが少なからずある。本来プライバシーにもグレーゾーンはあるはずで、人の心は徐々に周辺の人と交じり合うものであって良いと思う。

今のように明確に All Or Nothingという具合に線を引いてしまうと見えない壁ができてしまう。その壁を越えて中を覗いてはいけない事になる。漏れ聞こえたってアウトになる(そんなCMが有りますね)。そうすると、一番大事な、「人には感情がある、自分と一緒」、「親も有り、子もある、自分と一緒」というごく自然な大前提が忘れられてしまう。今の社会は「隣の家も、楽しくって、苦しくもあって、賢い時もあれば、ばかげたこともある。実はうちと一緒」と気付けるチャンスを失っているのではないだろうか。

その前提を深層心理に持っている社会とそうでない社会には大きな違いがあるのではないかと思っている。

あぁ、famiさんとこでゆるーく行きましょうと書いておいて、こぉーんなに、硬いこと書いてる、おれって、ちょっといい加減だなー。やっぱこういうのって、なんか、ちょっと疲れますね。

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