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2008.08.12

じいちゃんから聞いた話:貧乏たれの理由。

江戸末期でしょうか明治初期でしょうか?ワシの高祖父(祖父の祖父・曾祖父の父)は温厚な人だったらしい。そんで、もっと前の代から、田んぼもいっぱい持ってていわゆる地主さんというのだったみたい。

いっぱい小作人がいて、家の女たちは、いつでもきれいな着物を着てて、農作業なんかこれっぽっちもやんないってんだから、イメージが湧かないな。田植えのときなんかは晴れ着を着て歌うたったり踊ったり、そんなのだったのでしょうかね。田植えで苗を植えてくれる人はいっぱいいるわけで、家の人はもっぱらマネージメント側なのでしょう。

でも、この温厚な高祖父の弟がヤクザもんだったらしい。バクチに手を出して高祖父の全財産を勝手に手放す約束をしちゃった。結果全てを失った。

温厚な高祖父もさすがに怒っちゃって、弟は勘当。その後は行方知れずに。うちの家の人たちは、なんとか最低限生きていけるものだけ残して細々と小作人として暮らすことになったらしいよ。

それこそ文明開化などどこ吹く風という不遇の明治時代であったのだろう。明治の後半に生まれたワシの祖父も含めて、みんな一生懸命稼いで家計を支えたのでしょう。祖父は若いころには西宮の酒蔵まで出稼ぎに行ってたらしいし、いろいろあったんだなぁ。時は第二次世界大戦。祖父の長男(ワシのおじさんに当たる人)は志願兵として戦艦球磨に乗って、フィリピン沖で戦死。享年17歳。次男がワシの親父なのでワシのおじさんは17歳で死んでる。理不尽です。祖父母も気が触れんばかりの悲しみに沈んだはずだが、しかし、敗戦後の農地改革でやっとこさ、自分の田んぼを持てるようになったとか。。。

しかし、こんなことがあっての今なわけやし、これも運命というものなのだろうなぁ。そもそも、裕福なお家の次男坊としてワシが生まれていたとしたら、ワシがヤクザもんになってたかもしれん。何より、がんばらはった全ての御先祖様に感謝・感謝のお盆でした。

ま、こういうの、どこまで本当なのかはわかりませんね。どこかで脚色されてるかもしれません。

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