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2009.08.11

死生観

事後に「判断が遅かった」と騒いでみても救われる人はいない。誰しも身に危険が迫る状況で、それぞれが、その役割において、最善の判断と行動を取った。そう思うしか無い。その場に居て、そうしない理由など無いからだ。

その上で多くの被害が発生したのはとても悲しく、とても残念なのだけれど。しかし、いつごろ避難勧告を出せば被害をゼロに抑えられたのか。誰にもわからないではないか。間に合わなかったのだ。

死は無作為にそして公平に降りかかるもの。それが自然。いつか必ず死ぬとわかっていながら、それが「いつなのか」は死ぬまでわからない。だからこそ「生」は素晴らしい。自然の中で生きる限り、この摂理からは逃れられない。否定すれば人間性を失うだろう。

今回、残された私たちは、自然をさらに深く、身に染みいるように理解し、備えるべきなのだ。そして、偶然にも与えられた生を喜び、亡くなられた方々を悼む。彼らの悔しさに心を重ね涙を流す。

ここで誰かに責任を負わせて終わらせたって、いつか同じことが起こるだけ。粛々と後片付けをして、死者を悼み、生を喜ぶ。そして次に備えるのだ。それしか出来ることはない。何万年も前から同じ事なのだ。

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コメント

不謹慎な発言だけど,増水してどこが道かもわからんような状況で,川を渡って避難所へ行こうと(行かせようと)したことに驚きです.それほど切羽詰ってたんでしょうけど.マクロな行政判断の前に,局所的には個人の判断が大切ですね.

sumiさん、
どこかで転がったサイコロの目が一つ多ければ、川は渡れたのかもしれず、御自宅に残った方々が危険にさらされたかもしれず。
まさに最後は現場での個々人の判断。
遠ざけているつもりでも死は隣にありますものね。
そういや、お盆ですねぇ。

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