Yet Another SW
例えばヨーダが、まだ幼いアナキン・スカイウォーカーを、オビ=ワン・ケノービのパダワンとして認めたあと、ヨーダが所用で不在のジェダイ最高評議会で、メイス・ウィンドウとキ=アディ=ムンディが、エラそうに「どうせ何にもできねえ小僧じゃねーか」とか愚痴グチ言うてましたわー・・・・。
みたいな話(ちょっと違うが)を小耳に挟んで、ため息をつく。
丸ごとダークサイドに落ちてるなんてエライ最高評議会だね情けないし残念だ。
学研プラス
売り上げランキング: 749
« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »
例えばヨーダが、まだ幼いアナキン・スカイウォーカーを、オビ=ワン・ケノービのパダワンとして認めたあと、ヨーダが所用で不在のジェダイ最高評議会で、メイス・ウィンドウとキ=アディ=ムンディが、エラそうに「どうせ何にもできねえ小僧じゃねーか」とか愚痴グチ言うてましたわー・・・・。
みたいな話(ちょっと違うが)を小耳に挟んで、ため息をつく。
丸ごとダークサイドに落ちてるなんてエライ最高評議会だね情けないし残念だ。
独自のやり方はあって良いが、周囲からの期待値や現時点での遂行能力を客観的に理解したうえで成り立つものではないかな?と。
そういうの全部無視して「こうやりたいから、こうやります」みたいな、自家中毒的なやり方では、次第に世界から遅れてしまうのではないかと心配。
いや既に周回遅れかも?
↓夜視聴。巻島さんええひとやな。
一方、夕方自転車でもトライアスロン氏に置いていかれる。 ピッタリついても着いてけない。 こちとら未だにフロントインナー34Tで頑張ってる(?)から、踏めない回せないという限界点。 さらにアップなしが次第にキツくなってきた。体組成が変わっている気も。水分不足?
GPSログを取っていなかったのではっきりしないが、体感的には時速45キロぐらい?いやしかし、実際には40キロ出ていなかったような気もしてる。
台風一過。朝には雨がピッタリやんで、7時に警報全解除。しかし、風はけっこう強かった。 道路では、端っこに数メートルの木の枝が落ちていたり、ど真ん中に直径50センチぐらいの穴ぼこが空いていたり。自動車でも物理的なダメージがあるんじゃないかと言うぐらいの穴だった。バイクは転倒必至でしょう。
平衡感覚の危険が危ない。 気圧の変動が原因だろうと思うけど、対処のしようがないので困る。 視線を振ると眼振が出てとてもしんどい。 目を閉じると上下がわからず視覚で補っているのが丸わかり。
夕方帰宅時、目を開けていてもゆっくり斜め前に倒れそうになり、修正できない。なんとか壁に持たれて持ちこたえたが、非常に危険だ。
昨日の衆議院の選挙結果で与党が3分の2の議席獲得したとか? しばらく自民党のやりたい放題が続くの決定?
めまいしそう。
とはいえ民意。自分の感覚がそこから乖離しているというのは、日本にいる資格が無いのかも知れんなあ。
雨の日限定、自転車押して、次男をバス停まで見届ける。 傘をさしていると歩道通行に関する心配事が増えるので。 とはいえ少し離れてついていく。自立の支援でもあるので。
結構降っていたから10分かけて雨対策装備装着。みじんもすきのない姿で出発。
しかし、残念ながら(?)雨はピタッと止んでいた。
バス停で「雨降ってなかったね」と次男に声をかけると、 「どうしたん?なんで着いてきたん?」と・・・。
出発前にレインウェア姿で話をしているので、当然「オヤジがついてくる」と理解してると思っていたが、そういえば彼はそんな推測できなかったな。
この特性、過去10年で十分理解しているつもりだったが、日常の中に溶け込んでいて、気付けていないことも多々ありそう。
さらに支援できる余地が残されているということで、なにかヒントをもらった気がする。
マンションの理事を務めてそろそろ9ヶ月。任期は一年だから、あと3ヶ月?意外に早い。
いやしかし、今回は末端の端役だけど前回(15年前)は「長」が付いてて大変だった。 30代前半は、老朽マンション内では相対的に「最近の若いモン」の範疇だったし、実際なーんにも知らなかったし。
だから今年は気楽なものだ。
ただし、毎月第3土曜日に開催される理事会は「絶対出席するべきだ!」とされていて、出られないなら代役立てろとなっている。 今週末は会社の出勤日なんだけど、妻や長女に「代わりに理事会出てください(丁寧語w)」って言えますか?(いや言えない)ってことで、有給取って自分が出るのが全てまとまり大団円。
しかし東播磨は祭りの季節。なんにもなければ「ちょっくら実家へ二日で往復140キロのサイクリングにでも行きますか!」ってな気分だが、
しかし先週のようなイベント(消防訓練)などもちょくちょくあるから、それぞれ一回の拘束時間は短いけれど、まーそれなりに縛られている気分ではある。
とはいえヒマを持て余した週末でも、実際にはダラダラムダに過ごしていてたし、ある種の無いモノねだりではあるのかも。
男女の平均寿命が80越えても、あくまで平均。 50近くなって、あと30年程度は生きてるつもりで過ごしている。 しかし実際のところ本日終了までに、なにがあるかなんて分からんわけで。 すくなくとも今を納得して生きなあかんし、伝えたい人がいるなら電話ぐらいはしとかなアカンし。
とかね。
今年はなんと、うちが火元でありました。
午前10時に非常ベルを鳴らして「火事だ!」と叫んで119番、「訓練通報」と断った上で「台所の油に引火した」とかウソついて、さらに「初期消火に失敗しました」などとウソを重ねる。 避難後(管理組合の理事なので)、同フロアから避難した人数を数えにゃならんが、なんだか慌てて3回ぐらい数え直す。数字が頭の上を飛んで行く感じ。さらに自分を数えていなくて数字が合わないとかもうダメダメよ。
消防士さんの話によれば、昨年わが町明石市で、消防車が出動した火災は70件とのこと。思っていたより少ない印象。テクノロジーの進歩がある程度影響しているらしい。
しかし一方、救急車の出動は、昨年実績で、なんと年間1万4千回。これ平均したら38分に一回出動してるということですよ。しかも市内には救急車が6~7台しかないらしく(正確に聞いたが忘れてしまった)で各救急車は4時間半に一回出動する計算になる。実際最寄りの救急車が出払っていて、他の地域から駆けつけるケースが多々あるらしい。一回の出動でどれ位の時間がかかるのかはわからないけど、いろいろ増やしたほうが良いのでは?と思ったなあ。
さらに救急車の出動回数は年々増えているらしく、今年は1万5千件に達する可能性があるらしい。
久しぶりに、全く運動をしない週末。先週から町内勤務に復帰したけど、歩かないせいか体重増える。 ゆっくりなリバウンドとか、これ以上恐ろしいことはないなと。歩くべし。
会社に初めてマシンラーニングな仕事が舞い込んだ。大口叩いて弱気になって自宅で機械学習やってみた。ま、なんとかなるもんだ。
いやホント、とにかくMZ-700関係は層も厚けりゃ温度もアツい。こんな21世紀になるとは思っていなかった。
エゴサーチ的感覚wで自サイトのアクセスログのリファラー見てたら見慣れないURLがありまして、辿ってみたら、拙作「MZ-700フルJavaScriptエミュレータ」で、ZELBUSが動いているキャプチャ画像が貼ってあり、同エミュレータを紹介してくださっているブログでした。ありがとうございます。
こういうのほんと嬉しいですね。天にも昇る気分です。最近は手が止まっていて、妙な自己プレッシャーを感じていましたが、すこしモチベーションが持ち直した感があるので今後頑張ります(と思います。健康を害さぬ程度にw)
npmとそのプロジェクトページもよろしくね(コアはみんな同じだけどフロントエンドに違いがあります)。
今年の1月、MZ-1500の情報が多彩なAKDさんから相互リンクのお話をいただき、やっぱMZは濃いなと小躍りしました。MZ-1500って基本的なアーキテクチャはほとんど同じなんですよね。 ボクはMZ-700のあとMZ-1500も持っていました。PSG6音が楽しかった。
8月には「Windows用MZ-700エミュレータ MZ-700 Win」 の作者、まるくんさんからも「これ便利ですねー使わせてください」と言われてひとり夜中に密かに小躍りw
そんなまるくんさんは本業が忙しいにも関わらず、先日のMI68(エムアイロクハチ)で、MZVR なるプロジェクトを展示。MZ-1500のエミュをバーチャルリアリティ内部で動かすっていう、もうどんだけバーチャルやねんていうプロジェクト。少額ながらも9月には支援させていただいたので注目していたのですが、MI68当日の朝まで実装されてて恐ろしさすら感じたわけですが、しかし当日のTwitterでは多数の #MZVR なツィートがあってほんともの凄いクリエイターだなって畏れ多い存在です。
HAL研のMZ-80Cもですけど、Oh!石さんのMZ-700をMZ-1500にアップグレードするバージョンアップアダプタとかもうメロメロです。
自分も頑張らにゃならんなー。健康を害さぬ程度にw
世界的な大手企業の子会社へスピンアウトしていった後輩?年下の同輩?が、大変偉くなって仕事の話を持ってきてくれたらしい。
テーマは流行りの機械学習、ディープラーニング系の関連で、ちょっと能力を計るためにお試し的な課題をもらっているらしい。しかし、会社の人達、ホントになーんも知らんみたいで、大丈夫?かと。
一昨年あたりから一般のニュースでも騒がれてるのになんの準備もしていないとは残念だ。
普段から、投資をせずに、お金が落ちているかどうかだけ、地面を見ながら歩いているが、めったにお金なんて落ちてないよ。うつむいてるから遠くの金山を見落としてたりとか笑えないでしょ。
数年前から「絶対に機械学習やAIに関する仕事が舞い込んでくるし、そうでなければマズイよね」と言っていたのに 今になって「やれ!」とか命令が降ってくる。
世のテクノロジーの先頭を突っ走る気概とかないのかね。 コモディティ化して誰でもできるようになってからでは、儲からないのは目に見えている。
I will not condone a course of action that will lead us to war.
あたいらを戦争へ向かわせる動きは許さないわよっ!(-"-;)
英会話のヒアリング能力を高めるためには、ネイティブ英語の映画の音声と字幕を両方英語にし、特定のシチュエーションでの言い回し(のバリエーション)を耳でカラダで覚え込むのが良いとのことで、先日からスターウォーズ関連のDVD 3本を立て続けに視聴した。
「ローグ・ワン」、「フォースの覚醒」は良かったが、「ファントム・メナス」は、注意が必要。
ジャージャービンクスやグンガン人の(おそらく)拙い英語の印象が強すぎる。
彼らは「I am(アイアム)」、「I'm(アイム)」、「My(マイ)」というべきところで、「Me(ミー)」もしくは「Mesa(ミーサ)」と表現している(もう少し細かいルールがあるかもしれない)。
単語の並びも通常の(自分が知っている)英語の文法には(中途半端に)従っていないように思える。 しかしネイティブには、彼らの言っていることが伝わっているようだ。
これは英語圏以外の外国人(特に黒人)の発音を模したものらしい。 人種差別的な指摘もあるようで微妙な問題なのだけど、最近よく言われている「あまり文法に固執しなくても良い」ということは理解できた。
日本人は文法や単語の間違いを恥ずかしがって一切しゃべらないから上達しないとも聞く。 多言語が飛び交う世界では、外国人のカタコトの言葉を笑うという多分に失礼な態度は、基本的には無いらしい。
ジャージャーのせいで学習の方向がズレた気はするが、いくつになってもお勉強だ。
ここ数ヶ月、自分のクリエイティビティに疑義が生じていた。何か出力することの困難さを感じていました。 自分はニセモノ?たまたま今までどうにかなっていただけなのでは?みたいな・・・。
SNSでいろんな人達の燦然たるクリエイティビティを目にして意気消沈とか。 しかし結果だけではなく、製作段階の苦しさもタイムラインには流れてくる。 ここでやっと気づいたのは、あの素晴らしい成果は、超絶スキルですんなり出てきたものではなくて、内在するモチベーションやエネルギーが形を変えて噴出しているという事実。
どうやら今の自分は燃料不足なんだろう。 つまり入力が足りていないのだなと。 何も食ってないのにトイレで出そうとフンばっている。
てことで、この連休あまり出すことは考えず、入れることだけ目指して過ごしてみた。
そうすると「これは入力?それとも出力?」と分類するようになり、通常は出力だと思っていたものが、実は入力だったと気付いたり(逆もある)。
要するに、出力しない活動はすべて入力だといえるかも。
普段、別の角度から物事を見るのは難しいと感じているが、なにか一つ気がつくと急に簡単に感じたりするものなのだなあと。
諸処の事情で9月から、次男はひとりでスクールバスのバス停へ行っている。一学期は毎朝送っていたが、もう必要ないみたい。頑張っている。
先週、支援学校の懇談会でいろいろ話を聞いてきた。 6月頃に突然コミュニケーション能力が成長したとの話があった。 クラスへの帰属意識や正義感が芽生え、他クラス、他学年の生徒とも、うまく関われているのだとか。 発語のないクラスメイトの気持ちを想像して代弁したことがあったようだ。 家庭でもつい先日、期間限定の特別な風味のスナック菓子に興味を持ったので与えたら、親にひとつづつ試食用に持ってきてくれたことがあって驚いた。 また、中3の二人の男子とお友達になったと楽しそうに話もしてくれている。
以前から発達、発育は段階的にやってくると認識していたが、何か外的な刺激によって成長・発育が促されるのかと思ったりする。
次男の特別支援学校への進学は、小学校に入学するときから妻が強く主張していた。
自分としては学習面でのデメリットが気になっていた。次男は読み書き算盤に全く問題がないどころか通常より秀でているし、PCや電子機器は大人以上に上手く使うし。
しかし、自宅近くの普通中学校へ進学していれば、今の次男の成長はなかったように思う。
「保護/庇護/卑下される側」と自覚するようになっていそうだ。 発語のない友人の心の中を代弁できるようには、おそらくなっていないだろう。
現在の次男に、これらネガティブな感覚はなさそうで、できる範囲で、人に与えようとする(ただし気が向いたときだけ)。これは素晴らしいことだと感じている。
実際、すべての人が「他人に何かを与える」ことができるはずで、笑顔や優しい眼差し、喜びの声など、これらは他の人を幸せにできる。 それぞれの人が、「自分は他の人に何かを与えることができる」と思えるかどうかで、本人や周囲の幸福度は変わってくるように思うのだ。
妻が6年前に「絶対に」と強く主張した特別支援学校への進学に従って本当によかったと思っている。
次男はこれからも成長する。本当に楽しみだ。
最近のコメント