松竹 (2017-08-30)
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「男はつらいよシリーズ」の実質的な最終話。公開の8ヶ月後、渥美清さんは亡くなっている。
プロローグとエピローグで震災当時の神戸(多くは長田区)の映像が出てくるが、中間は特に無関係の話になっている。この点に少し違和感を感じたが、この脚本は山田洋次監督が、長田区でパン屋さんを経営する夫妻からのファンレターから着想を得て描き下ろしたということで、無理矢理「神戸・震災」を付け足したということではないようだ。しかし、撮影当時、既に渥美清さんは肝臓癌が肺に転移しており、監督や出演者は「最後の作品になるかもしれない」と予感していたらしい。過去3作に出演している浅丘ルリ子さんの4回目の出演は、その予感による影響だとか。満男にとってのヒロイン、後藤久美子さんも5回目の出演。
山田洋次監督は50回まで当シリーズを撮るつもりだったらしく、両ヒロインの出演は、ファンの期待に答えるべく、良い落とし所への筋道を描こうとしているように思える。
物語は、1995年の夏が過ぎ、ようやく涼しくなってきた9月頃、震災から復興する神戸のテレビ映像に寅さんが写り込んでいた、というところから始まる。
震災当時神戸にいた寅さんが復興ボランティアをうまく仕切り、行政との交渉役なども買って出て、地域住民に感謝されていたとのこと。
その後、前述のように神戸も地震も関係ない話にシフトする。満男(吉岡秀隆)と、いずみちゃん(後藤久美子)の結婚に関する話と、かつて北海道で出会ったリリー(浅丘ルリ子)と寅さんが奄美大島で同棲している話の2本立て。当然2つの話はうまい具合に交差するし、ファンの期待する方向へ進んでいく。
とまあ、いろいろあって最後に寅さんが神戸長田に戻って大団円。「ご苦労様でした」が渥美清さんの俳優人生の最後の台詞となったそうだ。
あの震災で、いろんな人の姿を見た
自分は当時、三宮からひとつ東隣の町、春日野道のワンルームマンションに住んでいた。
2日前には家内を自分の実家に連れて行き「秋頃結婚します」と報告しており、前日は芦屋で友人の引っ越しの手伝い。夜中に2号線をバイクで帰宅したけど不気味な赤い満月を覚えている。
そして当日5時46分、恐ろしい地響きと激しい揺れで目が覚めた。何もかもが止まっていて、午前中は色んな所の状況確認。
避難所では、怪我していても気丈なお年寄りに感心したけど、食料で争うダメな大人を見て怒りを覚えた。
いろんな事のホントの姿を見た気がした。
今思えば、争っていた大人は自分のためではなくて、家族のために慌てていたのかもしれないが、当時そんな風には思えなかった。身勝手な欲求だけを主張する大人というふうに見えていた。
そこで「自分はどうだ?」と自問する余裕もなかった。まだ半人前だったのだろう。
「みんなこれからどうする?」会議
夕方になり、行き場のない隣人・友人たちと共に、一番近くの小学校へ避難したが、暗くなり始めた頃、近くで建物が大爆発。誰かの持ってるラジオから長田で火災と報道されており、西の地平線が赤かった。そんなこんなで「この辺も危険が危ない」とかいう噂が立って、ひとつ西の小学校まで再避難。そこで校庭に布団を持ち寄って「みんなこれからどうする?」会議を開催したんだ。全員の行き先が決まった後、家内が部屋に置いてった麦チョコとポテチを分けわけして食ったのよ。
「あんたら死んだらアカンで」おばさん
校庭で、星を見ながら布団にくるまり寝転がっていると、おばさんがひとりやってきて、「あんたら、そんなところで寝てると死ぬよ。体育館に入ったら?」と。
しかし体育館は満員で、ご老人や怪我人がひしめきあってる。小学生ぐらいの子どもたちも中に入れず校舎の玄関あたりにいるような状態。「俺らの前に子供ら入れてやって」と頼んだら「あんたら若いもんはちゃんと生きて頑張らなアカンで!」と、指導か叱責か激励かわからない言葉を頂いた。
自分にとっては、少々大げさな芝居がかった言葉に思えたが、まだ世の悲喜こもごもを知らなかったからかもしれない。
PTSDってこういうことか
翌朝、明石の家内の実家へバイクで転がり込んだ。自覚はなかったが家内によると、その時、自分は顔面蒼白、生気が全く感じられなかったらしい。
今でも多少引きずっているのは、地鳴り・地響き・地震に対して冷静な対処ができない事。
軽いPTSDのようなものだと思う。
映画で時空間を共有した
自分にとって、あの震災は、現在の生活とあれ以前の生活を分ける境目になっている。
あのせいで、少し早めにマスオさん的結婚生活が始まった。
寅さんと一緒に神戸で被災し、寅さん以外の「とらや」の皆さんが震災復興のテレビを見ている1995年の9月に結婚式を上げさせてもらった。
満男といずみちゃんも結婚したのか?。寅さんはリリーと上手くやってるんだっけ?とか。
フィクションだけど、前後の震災の映像によって、なにかあの頃、見て感じていたことを共有している気分になってる。
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