小さな変化に気付いて平凡な日常から脱出しよう
ひしめく流れになんとか乗って改札を出ると、ホワイトノイズみたいな喧騒が止む。 コンビニ前を通り過ぎて、人がすれ違える程度の細い路地へ入ると、今日の午後に感じた街の活気を思い出す。
「自分はなんと平坦な日々を過ごしているのだろう」という思いが、一瞬の白日夢のように差し込んできて、軽い衝撃。
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10年分の経年劣化
梅雨の合間の良く晴れた土曜日。お昼前に自転車で遠くの最寄り駅まで約50分のサイクリング。10年前はもうちょっと早く着いていたと思う。時間だけじゃなく体力とモチベーションの消耗具合もひどかった。気温や風、交通状況の影響かもしれないが10年分の衰えを如実に語っているようで少し悲しくなった。
人それぞれの「普通」がある
信号で止まると5歳ぐらいの男の子に見つめられる。 レーパン・ジャージ・ヘルメット・くるっと曲がったドロップハンドル。 自分にとっては普通でも、この子の目には興味を引く対象なのだろう。 羨望なのか嘲笑なのかは分からないが、「にっ」と笑って挨拶すれば、「ぱっ」と笑顔になってコチラもうれしい。
未開の人、電車に乗る
電車に乗り換えて神戸まで。気が付けば2か月ぶりの電車であった。 どこの未開の地で暮らしているのかと苦笑した。
車内の会話や、地下街を行きかう人々の流れですら新鮮。 これが毎日のように繰り返されているのかと、現在の自分の日常との乖離に驚く。 ほんの数年前までは、なんら心を動かさずに同じ場所を歩いていたのにおかしなものだ。 自宅近くのショッピングモールだって似たものだけど、そもそもルーチンとしての必然性が無くて、自分の脳内マップには存在しないことになっている。
変化は連続して起こっている
2か月ぶりに会う人たちが口々に「痩せました?」「ちっちゃなってるやん(笑)」などと言う。 確かに体重を落としたが、見た目の変化は認識していない。 日常的に顔を合わせている人達からは、そんな指摘は受けてない。
実際に変化がないのではなく、変化に気付けていないだけ
帰路、遠くの最寄り駅で降りて駐輪場へ向かう途中、この半日の心の動きを反芻し「自分の日常は平坦だな」と落胆する。小さな変化は絶え間なく起こっているはずなのに、それを認識できていない。全てがルーチンになっていて、全てに対して意識的でなくなっているのだ。だから変化を楽しめない。日常生活に活気がない。
どうにかせねばな。
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