池袋暴走事故の初公判「けしからん」では何も変わらん
ニュースアプリのトップに出てきて辟易している。
亡くなられた母子と残されたご家族の心境を思いを寄せれば慰めの言葉も出てこないような不幸な事故であり、誰もがつらい思いをしているだろうなと思っている。
しかし、世間が「被告の態度がけしからん」と騒ぎ続けたとして、何か変わるのだろうか?という疑問。
この件に限らず、裁判での被告の態度や主張に対して感情的に反応する風潮に、気持ち悪さを感じる。
芸能人や著名人ならば、それが芸のひとつであり、商売道具であり、庶民の声を代弁しているといった側面もあるのかもしれない。しかしその庶民の声ってそんなにデカイか?と思う。それは本人にとって重要事項か?とも。
そもそも被告は、自身の認知を主張しただけで、それ以外の主張をする理由がない。
嘘をついているかもしれないが本人以外はそれを判断できないので、そう解釈するほか無い。
この前提を崩すと裁判は成り立たないはず。
当然、自分も「踏み間違えたんでしょ?」と思っている。裁判では、車のメーカーや警察などから、冷静にデータが開示されて、裁判官の判断で被告の主張が否定されることになるのだろう。
「けしからん」という理由で社会的な制裁を加えてしまえるならば、裁判はいらないなあって。それはリンチだなあと。
近所で井戸端会議して、口コミで意見が徐々に広がっていく社会はもうこの世になくて、一瞬で拡散するわけで。
そんな感情的、扇動的な情報を出す側は、商売なのだろうからやめないだろうが、受け手が取捨選択することで、少しは変わるかな?とか甘い期待を持っている。しかし、無料で手に入るニュースって取捨選択がしにくくて民主化されていないなあと思う。逆に有料のニュースは自分の嗜好に偏るだろうし悩ましい。
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